​大正10年卒の人物
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秋山謙蔵
​(教育)
 

広島県比婆郡西城町(現在庄原市)の母の生家(江木)を継ぎ、1927年伯父秋山九郎の養子となる。第七高等学校を経て東京帝大国史学科を卒業。以来帝国学士院の推薦を受け、高松宮殿下から6回も「有栖川宮記念学術奨励金」を拝受。三上参次文学博士等に師事し史学科の機関誌「史学雑誌」の編集に従事し史学会委員となる。大正大学、国学院大学教授、戦後は東京女子美術大学、東京女学館短大教授。主な著書に「日支交渉史話」「日支交渉史研究」「日本の歴史」等。

1978年(昭和53年)没。

佐々木彰

(軍人)

 

山本五十六司令長官の時の連合艦隊航空参謀・大佐(海兵51期)

二階堂哲郎

(政治)

 

初代大竹市長。東京帝国大学経済学部卒。

祖父は多額納税の貴族院議員を務めた大竹市の素封家生まれ。第八高等学校を経て東京帝国大学に入学。昭和2年、安田貯蓄銀行に入行したが昭和20年初め安田保善社の金庫を預かる経理課長職を辞して帰郷する。地域の世話役などを引き受けていた秋10月、推されて大竹町長となり、1954年玖波、小方、大竹の3町が合併発足した大竹市の初代大竹市長に就任。1974年まで5期市政を担った。

1974年(S49年)没。

野島福太郎

(経済)

 

東京帝国大学経済学部卒。帝國製鉄社長。

​松本賢一

(政治)

 

呉市の実業家松本勝太郎(貴族院多額納税者議員・第12代呉市長)の三男として生まれる。東洋大学印度哲学科を卒業し、1932年(昭和7年)からベルリン大学に留学し哲学歴史地理を研究した。その後は農場経営のほか呉市信用組合長、三津窯業社長などを務め、1954年(昭和29年)4月、呉市長に就任。2期在任し、台風災害からの復旧、近隣町村との合併、呉豊栄高等学校(現呉市立呉高校)の新設などに尽力した。1962年(昭和37年)7月の参議院議員選挙に広島県地方区から日本社会党公認で出馬して初当選。1968年(昭和43年)7月に再選されて連続2期在任し、この間、参議院決算委員長、社会保障制度審議会委員、社会党広島県本部委員長、選挙制度審議会特別委員などを務めた。

​1990年(平成2年)11月26日没。