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​石黒英彦
(行政)
石黒

第三高等学校を経て、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。文部、朝鮮総督府、台湾総督府を経て、1931年奈良県知事に就任。1931年12月から1937年6月まで岩手県知事になる。在任中、二度の大凶作や1933年3月3日昭和三陸地震などの復興に尽力した。1937年6月~1938年12月北海道庁長官、1940年12月文部次官に就任。1942年6月~1943年10月まで大政翼賛会錬成局長を務めた。
1945年(昭和20年)没。

佐上
​佐上信一
(政治 行政)

第一高等学校を経て、東京帝国大学卒業。高等文官試験合格から内務畑を歩み、1916年内務省内務書記官・土木局道路課長、1922年内務省参事官兼内務大臣秘書官・大臣官房文書課長(道路課長兼務)になる。1919年公布された道路法(旧道路法)の起草者で、立案に尽力した。1924年神社局長などを経て、1925年岡山県知事に就任。1927年長崎県知事、地方局長を経て、1929年京都府知事に就任。伏見市ほか26町村の京都市への編入を実現させるなどした。1931年北海道庁長官に就任した時、農業の合理化「根室原野農業開発5カ年計画」を策定、てん菜や酪農への転換を進めた。
1943年(昭和18年)没。

​谷口三郎
(行政 教育)
谷口

東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。北海道庁に入り小樽、留萌の築港工事を担当。1915年内務省に転任、1918年大阪土木出張所勤務を命ぜられ、10余年に渡り淀川改修工事に従事。1934年土木局第一課長、1936年東京土木出張所長を経て、1939年~1942年まで内務技監になる。その間、1941年土木学会第29代会長に就任し、他ブラジル、エジプトで土木工学を教えた。退官後日中親善に尽力し、1948年まで鴨緑江、黄河などの治水事業を指導。建設工事の機械化の推進を主張し、1950年日本建設機械化協会初代会長となった。
1957年(昭和32年)没。

佐々木到一
​佐々木到一
(軍人)

旧陸軍中将。1905年陸軍士官学校卒。陸軍きっての中国通と言われ、蔣介石ら国民党領袖と親交を結んだ。旧満州国軍創設に関り、1937年南京攻略戦では旅団長。旧ソ連によるシベリア抑留の後に引き渡された中国の収容所で死亡。
1955年(昭和30年)5月没。

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