​明治35年卒
南薫造
(文化・教育)

洋画家。明治40年、東京美術学校西洋画科卒業。同年、イギリスに留学。ボロー・ジョンソンに師事する。フランス、イタリア等をめぐり帰国後、明治43年第4回文展で「坐せる女」で3等賞、第5,7,9回文展で2等賞を受賞。そのほか、帝展、新文展、日展で活躍し、昭和7年から19年にかけて、東京美術学校の教授を務める。

​1950年(昭和25年)没。

 
渡辺銕蔵
(教育・政治・経済)

明治43年、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。同年、文部省特派海外留学生として、イギリス,ドイツ,ベルギーに留学。大正2年、東京帝国大学法科大学助教授となる。同年、北里柴三郎の長女と結婚。大正5年、教授、翌年法学博士となる。大正8年、経済学部設立に携わり同教授に就任し、今日の経営学の一つの源流を形成した。昭和2年、東京商業会議所で書記長に就任、翌年同会議所専務理事、日本商工会議所の専務理事も兼務した。昭和11年、衆議院議員総選挙に当選、政務調査会副会長を務める。昭和13年~17年、全国無尽集会所(全国相互銀行協会)理事長、都市計画中央委員会委員、帝都復興審議会評議員、東京特別都市計画委員会委員、日本米穀会副会頭などのポストに就いた。昭和22年、東宝社長、昭和24年には東宝会長を歴任。そのほか日本体育専門学校(現日本体育大学)校長など、多数歴任。

1980年(昭和55年)没。

 
​鈴川貫一
(経済・スポーツ)

広島市段原町出身。京都帝国大学工科電気工学科卒業、島津公爵家電気事業主任技師を経て1912年、広島呉電力技師長、支配人、取締役、続いて広島電気取締役、技師長、支配人、常務取締役を経て副会長。この時代から社内外の事務をほとんど一人で切り回し、まったく広島電気を背負って立っていた感があるなど、多年にわたって守屋義之社長を支え守屋社長勇退と同時に後任の社長になった。終戦時の中国配電(現中国電力)社長、広島商工会議所会頭。郷土アマチュアスポーツ興隆に貢献したとして第2回(昭和28年)中国スポーツ賞を受賞。

​1963年(昭和38年)没。

 
黒川巌
(医療・スポーツ)

広島県中央病院(現県立広島病院)院長。広島ローンテニスクラブを設立。硬式テニスの普及にも努めた。

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