​大正08年卒の人物
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田中義男

(行政)

 

1925年(昭和14年)3月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年11月文官高等試験行政科試験に合格。同年12月より休職し、一年志願兵として歩兵第11連隊に入隊。1926年11月陸軍歩兵軍曹、同年同月岡山県警部、1927年6月兼岡山県属、同年8月地方警視・神奈川県山手警察署長、同年12月横浜水上警察署長、1928年7月神奈川県警察部保安課長、1930年1月群馬県商工課長、1931年10月群馬県特高課長、1932年7月長崎県特高課長兼外事課長、1935年1月大阪府警察部外事課長兼交通課長、同年5月文部書記官・思想局思想課長、1937年7月文部省教学局庶務課長、1939年11月文部省普通学務局学務課長、1940年4月兼文部大臣秘書官・文部大臣官房秘書課長を歴任。1942年1月より関東局在満教務部長に就任。1943年3月に依願免本官となり、満州う国文教部次長に就任した。帰国後、1945年7月より文部省参事官となり、日本敗戦後の9月より文部省大臣官房総務室長、同10月学校教育局次長を務め、1946年3月に依願免本官。同年9月から1951年8月まで公職追放となる。解除後、1952年7月より文部省初等中等教育局長、1953年8月文部事務次官を務め、1956年11月に辞職。同時に日本育英会会長に就任し、1962年12月から1968年2月まで東京都教育委員長を務めた。

​1995年(平成7年)7月没

谷井保

(軍人)

 

1922年 海軍兵学校卒(第50期)。1942年海軍大学校教官就任。1944年第一機動艦隊、第十戦隊、第十七駆逐隊司令を拝命(海軍大佐)1944年第十七駆逐隊司令として駆逐艦『雪風』後に『浦風』にて司令。11月台湾海峡の基隆沖で、米国潜水艦『シーライオン』の雷撃を受け『浦風』は沈没。なお、1945年4月、『浜風』『磯風』は『戦艦大和』と共に沈没し、『雪風』のみ終戦を迎えた。

1944年(昭和19年)没