​昭和22年卒の人物
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桂芳久

​(文化)

慶応大学卒。作家。昭和28年第3次「三田文学」を復刊,編集担当として江藤淳らをそだてた。自身も三島由紀夫の推薦で「刺草(いらくさ)の蔭に」を「群像」に発表。昭和44年から平成8年まで北里大教授。三田文学会理事。著作に「海鳴りの遠くより」
2005年(平成17年)没

桧山且典

​(社会)

 

昭和27年慶応大学法学部卒、熊谷組で1年間の修業を経て家業の鴻池組に専務として帰郷、39年社長に就任。42年には広島JC理事長となり、同年広島で開かれた日本JCの全国大会時に見せた見事な采配ぶりで一躍若手実業界の新しいリーダー像が注目を浴びた。43年日本JCの役員に就任、同時に中央政財界人との交流も深めていくが、政治色を嫌うJC活動に進んで政治色を導入、山田市長や萩原副知事とも接触して国際会議場建設を誘導したり、空港問題にも独自の意見を具申するなどの”ニューライト”ぶりは、県議会議長として長く広島県政界に君臨した厳父柚四郎氏の血筋も争えず、会社の隆盛の一方では、本人の後半生が次第に経済から政治へと比重が移り、砂原前衆議院議員の死去の際に若くして公認候補の一人にクローズアップされたこともあるなど、”蛙の子はやはりカエル”の世評もうなずけるところ。業界の世話役も長年にわたり広島県建設工業会会長など務めた。

広島一中時代は野球部の名遊撃手として鳴らし慶応に進んだが、冬期練習で肩を抜いたため1年で退部、家業に戻ってから始めたゴルフは球歴4年でハンディ6の域に達した。

​2014年(平成26年)11月15日没

巻幡展男

​(社会)

 

因島市土生町生まれ。因島信用組合の創立に貢献、初代理事長に推挙された巻幡敏夫の御曹司。旧制山口高商を経て大阪大学法経学部を卒業。昭和33年、設立間もない関西テレビ放送㈱に入社、以来放送業界一筋に歩み、平成9年代表取締役社長、同15年取締役相談役に就任。阪急電鉄の監査役、近畿広島県人会会長なども務めた。