​昭和23年卒の人物
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井上義國

(経済)

 

京都大学法学部卒業。大阪金属工業(現・ダイキン工業)副社長などを経て1994~96年副会長。2005年6月に顧問を退任。関西経済同友会代表幹事や関西経済連合会常任理事などを歴任し、1994~2015年に太平洋人材交流センターの理事長、会長を務め、関西経済人の国際交流を促した。
著書に広島原爆の体験をつづった『「あの日」前後 』”広島原爆記”がある。
2007年鯉城関西同窓会副会長就任、2009年から顧問。
2021(令和3)年6月20日没

重松良典

(スポーツ 経済)

 

慶應義塾大学在学中、1952年天皇杯での優勝に貢献。卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。高校·大学の先輩小畑実監督のもと、同蹴球部(現サンフレッチェ広島)初期の黄金期を支えた。1958年第3回アジア競技大会で日本代表に初選出され、対香港戦で初キャプテンを務めた。
現役引退後、日本蹴球協会(現日本サッカー協会)入りし、日本サッカーリーグ(JSL)創設メンバーとして、設立を実現させた。協会在籍時の1968年、藤和不動産サッカー部(現湘南ベルマーレ)の設立メンバーとして携わる。その後、東洋工業に戻り1974年、広島東洋カープ球団代表に就任。在任中、3度のリーグ優勝と2度の日本一とカープの黄金時代をもたらした。1981年から、フジタ工業(現フジタ)に移り、日本サッカー協会専務理事などを務め、1993年のJリーグ設立にも関わる。2002年日韓ワールドカップ開催にも尽力。
2018年(平成30年)没

​森下弘

(教育 社会)

 
 
​吉村仁

(社会)

旧制広島高等学校を経て​東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、旧厚生省に入省。医療保険政策に携わった。1957年、医療課で「国民皆保険」制度導入に関わり長寿王国の基礎作りに貢献。1979年社会保険庁長官、1982年保険局長。超高齢化社会到来を見据え、医療費増大は国を亡ぼすと憂慮して健康保険制度の大改革をライフワークに定めた。1983年、「医療費亡国論」の論文を発表。日本医師会や自民党内部、野党からも猛反発を受けたが屈せず、厚生省主導で聖域化されていた医師優遇税制の改革にメスを入れた。1984年の健康保険法改正で、無料だったサラリーマンの医療費に1割の自己負担を導入、浮いた財源で新たに退職者医療制度を作る仕組みを打ち出し、健康保険制度創設以来ともいえる大改革を実現させた。1984年事務次官、1986年退官。肝臓がんの治療も先延ばしするなど命を懸けた改革だった。
1986年(昭和61年)没