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​明治13年卒
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​廣田理太郎
(教育)
廣田

東京帝国大学機械科卒業後、石川県尾小屋鉱山や新潟佐渡銀山の技師・技師長を経て、1894年高田商会に入社。同年日本初の計算尺をフランスから持ち帰り、日本製計算尺研究に繋げる。高田商会を13年間勤務したのち、東京帝国大学工学部で講師として鉱山技術者養成に務めた。1919年鉱山用機械の設計改良により工学博士の学位を取得。日本鉱業学会会長に推されたが嗜眠(しみん)性脳炎により亡くなる。

​1935年(昭和10年)没

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