​昭和18年卒の人物
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天野孝三

​(社会・スポーツ)

 

​広島高専卒業。自動車部品メーカー「三次(みよし)製作所」元社長。12歳で陸上競技の競歩を始め、28歳まで実業団選手として活躍した。70歳で社長退任を機に競技を再開し、2007年にイタリアであったマスターズ陸上の世界大会で銀メダルを獲得。

その後も世界マスターズ陸上に出場しM85(85~89歳)の競歩2種目で金メダルを獲得した。また、2000年「マラソンに比べ人気の低い競歩を普及させたい」と研究生として広島大学に入学。84歳の2018年3月には広島大学大学院の教育学博士号を授与されている。

 
庄野直美

​(教育)

物理学者で被爆者という立場から平和運動と原爆被害の研究に尽力した広島女学院大学名誉教授。九州帝国大学理学部理学科在学中、原爆投下から3日後の広島市に入り被爆した。広島大助教授、広島女学院大教授を歴任、専攻は理論物理学。1985年全国から募った寄付を基に「ヒロシマ・ナガサキ平和基金」を設立、理事長として05年まで平和運動に励む団体や個人を対象に助成を続けた。被爆直後の広島、長崎の惨状や原爆の威力、放射線の後障害などを紹介した「ヒロシマは昔話か」など著書多数。05年に広島市民賞を受賞した。

2012年(平成24年)2月18日没

 
徳永洋一

​(経済)

京都大学法学部卒。住友銀行(現:三井住友銀行)取締役。ダイキン工業㈱副社長歴任

​2006年より順心会看護医療大学理事長。

 
平田嘉三

​(教育)

尾道市生まれ。1949年広島文理科大学西洋史学科卒​。1953年京都大学大学院博士課程満期退学、広島大学文学部西洋史学科助手広島女学院大学講師、文部省初等中等教育局教科書調査官を経て1971年広島大学教育学部助教授、教授。同付属小学校長。1986年~89年全国社会科教育学会会長。1989年広島大学を定年退官、名誉教授となる。その後も広島工業大学教授、広島女学院理事、広島女子商短期大学長、同理事を歴任。広島県教育委員長(平成6~12年) 

2008年(平成20年)没

 
渡部英麿

​(スポーツ)

実家は広島市の黄金山に面した邇保姫神社。國學院大学出身というサッカー日本代表の歴代選手を見渡しても異色の経歴の持ち主で名ゴールキーパーと謳われた。大学を卒業して実家の神主を務める傍ら広島似島中学での教員時代に日本代表に選出され、1954年のワールドカップスイス大会予選と第2回アジア競技大会(マニラ)の国際Aマッチ2試合に先発出場している。その後中国電力に勤務したが縁あって山陽高校サッカー部コーチに、さらに同校の漢文の教師となりサッカー部長兼監督を務め、1955年には全国高校選手権に初出場という強豪校に育て上げ、1967年優勝に導いた指導者としても名声を高めた。当時の教え子の多くは後に日本代表になっている。晩年も広島県サッカー協会の重鎮として活躍、母校広島国泰寺高校サッカー部のOB会「鯉城蹴球団会長」を務めた。

2011年(平成23年)10月没