明治24年卒
※下線のある名前クリックで画面TOPになります。
川崎卓吉
(政治)
政治家(文相・商工相)。県立広島中学校に
入学したが、4年で中退し上京。千葉中学に編入、第一高等学校を経て東京帝国大学法科を卒業。明治36年、高等文官試験に合格。明治37年、東京吏員を経て初の”学士郡”として静岡県小笠原郡長となる。以後、福島県知事、台湾総督府内務局長、殖産局長、名古屋市長、内務次官を歴任。大正15年、貴族院勅選議員になる。昭和4年には、浜口内閣の法制局長官、昭和6年には若槻内閣の内閣書記官長を歴任。昭和11年、岡田内閣の文部大臣、次いで広田内閣の商工大臣を務める。
1936年(昭和11年)没。
吉江琢児
(教育)
微分方程式論を研究した数学者。明治42年東京帝国大学教授となり、解析学研究の指導にあたる。大正4年東宮御学問書御用掛として昭和天皇に数学を進講する。
1947年(昭和22年)没。