​昭和24年卒の人物
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上野友夫

(文化)

 

​中央大学法学部法科卒業。1954年NHKへ入局。広島中央放送局、松江放送局を転任後、60年に東京勤務となり芸能局へ配属される。ディレクターとして「日曜名作座」の演出なども手掛けた。川野京輔のペンネームで推理小説作家活動も行い、日本推理作家協会名誉会員。

 
酒井原良松

(スポーツ)

東京大学法学部卒。軍人一家に育ち、自らも軍人を目指して中学1年で陸軍幼年学校に入学したが、昭和20年に終戦ー復員して元の広島一中に復学した。東大入学後はヨット部に入り頭角を現して4年時には全日本大学ヨット選手権で12フィートA級で東大を日本一に導いた。その後、海外の国際試合で健闘し1960年ローマオリンピックのスター級ヨットの選手として出場(競技成績は26位)敗戦の苦杯も勝利の美酒も味わった選手生活の後、日本ヨット協会の役員、理事長などで10年間指導に努めた。因みに厳父故繁松氏は海軍少将。東京から3200キロ離れた南太平洋の孤島、ウェーク島警備隊司令官として善戦し、相次ぐアメリカ軍の空・海からの奪回作戦を撃退して名を轟かせ、終戦まで日本が占領した状態を守り通したことで知られる。

『追記』東大卒業後は建設機械メーカーで有名なコマツ(小松製作所)に就職し、秘書室・広報宣伝部・企画部などの部長を歴任して、総合研修所長、系列会社の社長を務めた。

 
坂田正二

(教育)

​広島大学文学部西洋史学科卒。文学博士。広島文化女子短大教授、同学長、呉女子短大学長を歴任後、平成2年学校法人広島文化学園理事長。​広島県教育委員会委員(昭和56~59年)も務めた。著書に「ゲルマン社会史の研究」「ローマから中世へ」など。

​2019年(令和元年)8月没

 
澤田昭二

(教育)

​13歳の時広島で被爆。広島大学理学部卒。広島大学大学院理学研究科博士課程修了。素粒子の理論物理学者。名古屋大学教授を定年退職後、原爆症患者認定訴訟の原告側証人として原爆被害者救済に携わり、原爆の放射線による影響の調査研究に取組んでいる。原水爆禁止日本協議会代表理事。

 
田村鋭治

(社会)

早稲田大学(第一商学部)卒。広島信用金庫理事長、会長を歴任。その間、広島シンガポール協会発足に尽力し名誉会長を務めた。第6代鯉城同窓会会長。昭和23年の学制改革の為、投手として選抜高校野球大会の出場を逸した。

​2019年(平成31年)3月没

 

 
葉佐井博巳

(教育)

広島大学工学部卒。広島大学名誉教授。核物理学者。原爆が人間に浴びせた放射線量の推定方式「DS02」を被爆試料から確かめ日米合同で策定した功績は大きい。広島国際学院大学学長を退いた後は、入市被爆者として被爆証言活動も行った。広島六大学野球連盟理事長として日米の草の根交流に長年貢献し、2018年「金子堅太郎賞」を受賞。

2019年(平成31年)1月26日没

 
原田康夫

(教育・文化)

広島大学大学院医学研究科修了後、広島大学医学部教授、同附属病院長、同医学部長を経て、平成5(1993)年から学長(第9代)を8年間務めた。平成6年には内耳の研究で目まいや平衡障害の治療法を大きく進歩させたとして、世界的な医学賞「バラニー・ゴールドメダル」を受賞。平成7年紫綬褒章。同13年中国文化賞、同21年瑞宝重光賞を受章。退官後は広島市の病院事業管理者や現代美術館長なども務め、また​テノール歌手としても数々の歌劇の主役を演じた。広島大学同窓会会長。

 
平位 剛

(教育・スポーツ)

広島大学医学部医学科卒(産婦人科)、広島大学医学部助教授、広島女子大学教授、新潟県立加茂病院などを経て平成9年(1997年)広島市立安佐市民病院長を定年退職後は、福山記念病院グループの老健施設長、中国重慶第三人民医院名誉院長を歴任。広大医学部在学中から山岳部で活躍、後年、日本山岳会広島支部長も務めた。中国文化賞を受けた労作「禁断のアフガーニスターン・パミール紀行」は最晩年にその補巻として、アフガニスタン北東部の自然や人々の営みを紹介する紀行文「ワハーン回廊」も出版している。

​2017年(平成29年)8月24日没

 
福原黎三

(教育・スポーツ)

昭和24年第27回全国高校サッカー選手権大会で優勝した鯉城高校の中心選手。東京教育大学体育学部卒。大学時代にも関東大学リーグで28年ぶりに優勝、4年次には主将を務めた。埼玉県立浦和高校教諭として同校サッカー部を指導したが、その後帰郷し広島県警察学校講師を経て広島大学付属高等学校教諭、同校サッカー部監督、日本ユース代表監督(1966年)など務めた。 

1970年(昭和45年)2月7日没

 
​山崎保彦

(社会)

​東京商船大学卒業後、世界中に航路網を持つ大阪商船を選び入社(合併により現商船三井)。それから退社まで一途に30年間の海上生活が始まるはずだったが、海上勤務、海員組合調査部派遣、海上勤務、東京本社定航部コンテナセンター勤務、引き続き神戸支店コンテナオペレーションセンター勤務、再び海上勤務、さらにはロンドン支店駐在船長、帰国してまた海上勤務を勤め上げて退社(昭和59年)後は大阪湾水先人に推挙されて就業、17年間の勤務中には国際パイロット協会の副会長を2期4年務めた。平成13年10月、70歳を機に廃業、愛媛県の弓削島に丸太小屋を建てて念願の隠居生活(果樹園と作陶)を送っている。米寿を機に上梓した自分史『老船長のLOG BOOK』(老船長の航海日誌)記載の乗船履歴一覧によると、①3等航海士時代=和光丸、めきしこ丸、ぶえのすあいれす丸など3隻、②2等航海士時代=あとらす丸など2隻、③1等航海士時代=まどらす丸など12隻、④船長時代=へいぐ丸など6隻と、計23度もの海外航路乗船記録を持つ。

 
渡邉 文人

(僧侶・スポーツ)

広島大学文学部哲学科卒(中国哲学専攻)。県立高校の国語科教師を務める傍ら昭和32年4月生家の松栄山本逕寺第29世住職を継承、僧侶名は文進。原爆で壊滅した本堂再建に奔走の一方で広島大学にヨット部を創設し昭和30~37年同監督、37年からは広島県ヨット連盟理事長、47年から58年にかけて日本ヨット協会理事も務めた。平成10年体育功労者文部大臣賞、同13年勲5等双光旭日章を受章。同年財団法人広島県ヨット連盟会長。

​2004年(平成16年)10月4日没

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