​昭和24年卒(鯉1)の人物
前田邦男

(社会)

原爆で崩壊した校舎から脱出して生き残った広島一中1年生19名の一人。広島大学政経学部を卒業して1955年(昭和30年)に呉相互銀行に入行、被爆後20年ほど経過した頃から様々な後遺症(耳下腫瘍症、食道がん、皮膚がん、基底細胞がんなど)を患いながらも、持ち前の負けず嫌いな性格と粘り強さ、そして楽天主義によって病気を克服しながら、広島支店長、常務取締役、専務取締役と昇進、さらには商号変更により普銀に転換した”せとうち銀行”頭取、広島総合銀行と統合誕生した”もみじホールディングス”社長、”もみじ銀行”取締役相談役などを歴任したその足跡は、激変する金融業界の荒波を潜り抜けた闘士としても語り伝えられるだろう。

2011年(平成23年)没

原邦彦

(社会)

 

広島一中1年生生き残り19名の一人で、被爆生徒の記録集「ゆうかりの友」を編集ー刊行した。

兒玉光雄

(社会)

 

​旧制広島一中1年の時に被爆。倒壊した校舎から脱出して生き残り、戦後復学をした19人の中の一人。人生も晩年の60歳代に入り次々とがんを発症しながら22度もの手術を克服して88歳の長寿を全うしている生き様は壮絶の一語に尽きよう。被爆者とは思えぬその仕事師ぶりは異色で、広島大学水畜産学部を卒業後は、ふるさとの高田郡向原町役場に奉職し、産業育成を担当する傍ら青年団長をやったり、町興しに奔走。さらには先進農業研修のためスイスに留学、帰国後は牧場経営を目指して役場を辞し農協職員一牧場長となったが、地元の和牛有力業者と対立して辞職し、セゾングループの飼料メーカー「西武化学」に入社。海外研修などの経験もあるところから1973年4月には同じグループの「西武都市開発」へ転籍して岡山で”瀬戸パークハイツ”分譲を担当したり、1982年には本土復帰した沖縄事業所の所長として観光事業にも腕を振るっている。ただ60歳を過ぎた1999年夏に大腸がんを発症、これを機に長い会社員生活に終止符を打った。それまで自らの被爆体験を詳しく語ることはなかったが、あるテレビの取材をきっかけに活発な証言活動を行っている。

【参考文献】◇広島大学文書館オーラルヒストリー事業 ◇「日常の中の被爆」プロジェクト第1集 ◇兒玉光雄オーラルヒストリー『原子野を生きのびて』​◇横井秀信著「異端の被爆者」(新潮社)

平野実

(社会)

 

​京都大学医学部卒。久留米大学学長。

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