​明治41年卒
宮原幸三郎
(経済・政治)

呉貯蓄銀行、中国電気、呉瓦斯(ガス)等を経営。広島県会議長、呉市会議長を歴任。明治31年から衆議院議員を3回当選。

​1934年(昭和9年)没。

 
瀬越憲作
(文化)

囲碁棋士。内相望月圭介に伴われ上京。方円社に入り囲碁修行に志す。兵役のため帰郷に際し、鈴木為次郎三段と6局を闘い4勝2敗の成績を収め三段位を得て飛付(とびつき)三段として当時話題になった。大正10年、六段に進む。鈴木為次郎と稗聖会を創立し、囲碁の対局に時間制を初めて採用した。大正13年、日本棋院創立に参画、第二次大戦後は日本棋院理事長として再建に尽くした。昭和30年、現役を引退、名誉九段に推される。紫綬褒章、勲二等瑞宝賞を受賞。世界に碁を広めるため、中国に3回渡航し、呉清源の来日とその大成に協力した。古棋譜を発行、「御城碁譜」全10巻、「明治碁譜」の出版は高く評価されている。現役引退後は後進育成に尽くし橋本宇太郎、呉清源、伊予本桃市、久井敬史らは門下生。

1972年(昭和47年)没。

 
田中純
(文化)

小説家・劇作家。関西学院神学科を経て早稲田大学英文学科を卒業。春陽堂に入り「新小説」編集主任となる。文芸評論,劇評を「新小説」「新潮」などに書く。大正7年、「新小説」を退き、ツルゲーネフなどの翻訳をしつつ、久米正雄,里見弴,吉井勇らと知り合い、小説,戯曲などを書く。大正8年、吉井勇と共に国民文芸界を結成、演劇復興運動を起こす。同年、吉井,里見,久米と共に雑誌「人間」を創刊。代表作「妻」「平太郎の親」「純潔」「闇に哭く」、第二次大戦後は「文壇恋愛史」「作家の横顔」「女のたたかい」など多数。

​1966年(昭和41年)没。

 
賀屋興宣
(政治)

第一高等学校を経て、東京帝国大学を卒業。大蔵省に入省。主計官,書記官,主計局長,次官と大蔵省主流を累進。昭和2年、ジュネーブ軍縮会議に、昭和5年、ロンドン軍縮会議に全権の随員として列席。昭和12年、第1次近衛内閣の大蔵大臣に就任。昭和13年、貴族院勅選議員、翌年北支那開発㈱総裁となる。昭和16年10月東条内閣の大蔵大臣に就任。敗戦直前の昭和20年8月11日、戦争責任を感じて正三位勲一等と国務大臣礼遇を返上し、続いて大蔵省顧問,貴族院議員も辞した。敗戦後、連合軍の占領下にあって約10年間戦争犯罪人として苦難の道を歩んだ。昭和32年、自由民主党に入党、岸首相の経済顧問となって公人生活に復帰。昭和33年、東京3区から衆議院議員選挙に立候補し当選、以来昭和44年まで連続5回当選。その間昭和38年、第2次池田内閣、第3次池田内閣の法務大臣に就任。

 

​1977年(昭和52年)没。

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