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​明治43年卒
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岩沢忠恭
岩沢忠恭
(政治)

第三高等学校を経て、京都帝国大学工学部土木学科を卒業。内務省入省。1920年日本大学教授として日本大学高等工学校(現日本大学理工学部)設立に参画。内務・建設官僚として多くの道路整備や河川の災害復旧などに尽力。1950年建設省退官後、参議院議員を3期務め、その間国土開発縦貫道建設審議会委員、参議院予算委員長、建設委員長などを歴任した。行政・政治を通じて戦後日本の建設行政の基礎づくりを行った。郷里広島では、度重なる太田川の氾濫に対し、30数年をかけて太田川の改修工事を完成させた。

1965年(昭和40年)没

山本実一
(社会)
山本

第六高等学校を経て、東京帝国大学農学部を卒業。中国新聞創業者山本三朗の養嗣子となり同社に入社。副社長を経て1933年社長に就任。高速度輪転機を導入するなど近代化に努めた。戦後は原爆で壊滅した中国新聞社の復興に全力を注ぎ、今日の基礎を築いた。1952年広島初の民間放送ラジオ中国の初代社長も兼ねた。日本新聞協会常任理事、共同通信社理事なども歴任。生涯を中国新聞社の育成発展と地域文化振興に尽くしたとして、従五位勲四等旭日小綬賞を受賞。

1958年(昭和33年)没

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